NPO法人 AWC 水道事業活性化懇話会

若勢 憲一

2002 3・4 ネパール研修旅行  若勢憲一  

<ネパール国の印象>

一人当たり国民所得は年180米ドル。世界で第四番目に貧しい国(国連開発計画1996年データ)とされている。

2月13日の夕刻、到着したばかりの首都カトマンズ「トリブバン国際空港」の照明の暗さ、町中の雑踏、車やバイクの騒音、埃(ほこり)っぽさに驚いた。
翌朝、ホテルの存在が周囲とかけ離れているのにまた驚いた。宿泊料金は一泊食事付きで80~90ドル、庶民の約5か月分の収入が一泊の値段だ。
立派な調度品や洗練されたサービスよりも5か月分という料金に、なんとなく落ち着けなかった。

観光地では物売りや俄かガイドの子供たちの歓迎を受けた。彼等は日本語と英語で巧みに話しかける。 人懐こく語りかける。
手彫り石仏を買って欲しいと近寄ってきたダルバール広場の若者の目は印象的だった。同じ歩調で歩きながら大事そうに石仏を見せる。いかに素晴らしい作品かを主張する。話を適当に聞き流していると、彼のパワーに火が付いてしまった。値段は5千ルピー(約9千円)から破格の「3千ルピー」に下がる。続いて、日本円で「千円OK」と主張する。彼の顔を覗きこむと真剣だった。「いらない」、精一杯冷たく拒絶したが「3百ルピー、5百円0K」と食い下がってくる。困っている私を見て稲場先生が、「私が買おうか」と手を上げてくれた。若者の情熱を裏切っては申し訳ない、そんな気にさせる迫力だった。

雪をいただいたアンナプルナの峰々、魚の尾を意味するマチャプチュレの鋭角的なピーク、観光地ポカラの素晴らしさはこの景観だろう。日の出とともにピンクから白に変わるこの山塊の美しさはヒマラヤの魅力の一つだ。
2月15日の払暁、日の出を見に行った。峠道をバスで上り、さらに徒歩で展望場所のサランコットの丘を目指す。するとどこからか子供たちが集まってきた。懐中電灯をもっている子はわれわれの足元を照らし、勝手に道案内をする。展望場所では「名ガイド」に変わった。日本語と英語で眼前の山 の名前、高さ、そして昔両親から聞いた虎の被害の話、日本の援助で学校ができたことなど喋りまくる。夜明けでかれらの顔つきがはっきり分かるようになる。近くに住む子供や学生だった。あどけない顔、素足のままの子もいる。小遣い稼ぎが目的だ。チップを出すまで脇にしっかりつき従い、同じことを何回も粘り強く説明してくれた。
貧しいが目は輝いている。これが彼らの印象である。言葉を覚えたい、友達になりたい、いろいろなことを知りたい、ものが欲しい、買ってもらいたい、など様々だろう。何かを求めること、求め続けることが彼等の目を輝かせるのではないだろうか?。今はもう日本の子供には見られなくなった輝きだ。

<水と生活>

「蛇口の水は飲んではいけない」。ガイドブックにはそう書いてある。超一流ホテルでも安心はできない。
そのかわりボトル水、湯さましが置いてある。これは安全だ。 水道の水処理がいい加減なのか、水源が悪いのか理由は分からない。日本人の町田宅では食器は水道で洗い、熱湯をかけて仕上げるという。歯磨はどうしているのか聞かなかったが、水道水ですすぎ、ボトル水でクチュクチュした。
多分、ツアー一行もそのように仕上げたと思う。そんな水道なので残念ながらシャワーも朝の洗顔も洗った気持ちにはなれなかった。
蛇口の水が安全であることがいかに大切か、身をもって感じた。
トイレは水洗だが、いくらひねっても水が流れない(宿泊したホテルは別)。おとし紙を使う習慣もないという。だからトイレに紙はない。ガイドブックには「水洗トイレ」ではなく「水式トイレ」と書いてある。
だから、水を入れたバケツがトイレには置いてある。これをどう使うのか、手動ウオシュレットかな?、手水鉢かな?。「水式トイレ」の使い方、いまだに謎である。文化の違いをここで思い知った。

下排水は下水管を通じてそのまま川に放流されるという。ヒマラヤの氷河を解かした清流も、町中ではドブに等しい流れになっている。そんな川だからごみ捨て場のようにビニール袋も投げ込まれている。
ヒマラヤとの対比がなんとも悲しかった。

<MDT社の存在>

この国の産業は農業と観光を主としている。一方ではITを駆使する先端の世界もある。町中にはインターネット「カフェ(?)」もあった。
日本の戦後と違うのはこうした技術力をすでに保有していることだ。 その一つがMDT社(メイケン デジタル テクノロジー社)である。

ネパール国最初の「日・ネ合弁企業」として知られ、同国政府の期待も極めて大きいという。この会社ではわが国で受注した上下水道のマッピングや、コンピュターによる設計業務などをネパールの技術者が行っている。若い優秀な頭脳を集め、日々研さんに励んでいると言う。MDTの現地出資者、ムコンダさんは航空機会社、ホテル、医学校などを経営するネパール国の経済人だが、これからはIT分野で発展を図 りたいと語る。

わが国は製造業と同様、設計分野でもこうした「空洞化」が避けられない時代になってきたのだろうか、日本語を見事に話すMDT社部長のラメシュさんに、この国の自信に満ちた未来を見る気がした。

<町田さん>

MDT社に日本人顧問が居る。名前は町田さん。大阪市水道局や同総合計画局を勤め、部長級(技術監)で退職した。
山歩きが大好き。これが縁で第二の人生をネパールに決めたという。早足、早口、イエス・ノーをはっきりさせる語り口はMDT社でも信頼を集めている。

その山歩きでエベレストの登頂口付近、標高5千5百㍍地点まで上った。右へ上ればエベレストへのアタックコース、左はトレッキングコースという地点だ。山頂アタックには許可料だけで1人数万米ドルのお金が必要だが、トレッキングは道中の宿泊費やガイド料込みの実費で1パーティ20万円ほどという。

5千㍍の高地は想像を絶する世界だ。荒々しい岩肌と氷河、空は宇宙に通じる透明な群青色だ。こんな世界では酸素がかなり薄くなるため、高地馴致を繰り返しながらの歩きが基本になる。千㍍上ってはその日に戻り、翌日2千㍍上って、千㍍下る。そんな繰り返しで体の増血作用を高めて行かなければならない。だから時間的余裕のある日程がまず大切だ。この手順をごまかすと必ず高山病にかかるという。

実際に町田さんが見た話では、先を急いだ西洋人トレッカーが、パタリと倒れた。ガイドがそれを覗き込んで「死んでいる」と一言。ご苦労にもこのガイドさん、遺体を下の集落まで下ろしたと言う。

ネパールのお札は赤茶けたシワクチャ紙幣が多い。中には異様にどす黒いのもある。町田さんは「なぜこんな色になるのかと思っていた。ある時その原因が分かった」という。理由は、食用にする山羊や水牛、鶏をさばき、その手のまま肉を売り買いするからだという。動物の血が紙幣の赤茶けた色だという。

カトマンズにはパシュパティナートというヒンズー教寺院がある。広い境内には灰のような白さで褐色の肌をまぶした半裸の修験者やジーンズ姿の若いカップル、家族連れなどがゆったりと過ごしている。寺院の際(きわ)を流れる川べりにはコンクリートで作られた十に近い火葬台が並んでおり、さんさんと輝く太陽の下ですでに幾筋かの煙が上っていた。積み上げられた薪がくすぶっている様子は我々異邦人にはショックだったが、野辺送りを見守る人々は悠々と構え、安らぎと思えるような静かな光景だった。

火葬台は川の右岸、境内に沿って等間隔で並び、燃え尽きた灰はそのまま川の流れに任せるとのだった。
下流 の河原には燃え残った薪が所々に転がっている。町田さんの説明では上級カーストと下層カーストでは火葬台の位置が異なり、上級カーストほど上流で、寺院からの距離が近い場所という。カースト制度による社会的差別はインドほど深刻ではないとのことだが、この寺院で昇天できることがそもそも国民のごく一部、飛び切り裕福な階層ではないかなとも思った。

<AWCの面々>

皆さん積極的で好奇心一杯だった。ネパール国のムコンダさん、MDT社のビジェンドラさん、ラメシュさん、町田さんらの尽力で、短期間だが効率的、経済的な旅ができたと思う。ネパール国にまた来るかと問われれば「今度は女房同伴で」と答えたい。

ところで、マオイストのテロ活動が治まらないのは国民の多くが貧しい思いをしている事に原因があるように思う。
道路、水道のようなインフラも十分ではない。物資を運ぶのに飛行機やヘリコプターが重宝しているとのことだが無駄のような気がする。道路網や軌道建設によって効率的、経済的な物の流れができれば、経済活動や観光にも良い方向の上昇スパイラルが期待できる。その意味で、日本の戦後の歩みが、今の政治状況を見れば反省の方が多いが、ほんの少しは参考になるような気がする…。


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